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〜群馬県・上野村で暮らす3〜
上野村の師走は静かな時を迎えている。いつの間にか紅葉は終わり、窓から眺める畑は霜で一面まっ白に、山にはうっすらと雪が積もっていた。つい先日、上野村の友人との会話のなかでこんな笑い話があった。5才になる娘が夏休みに東京にいった時、『お父さん、ここは夜でも懐中電灯がなくて歩けるからいいね!』夜道が暗いことが当たり前の上野村では考えられない話であり東京では笑い話である。その話を聞いて、地球の裏側にある南米アマゾンに移民をした日系人の昔話を思いだした。約100年前、日本から南米に渡った日系移民は、とてつもなく大きなアマゾンのジャングルの中でその開墾や風土の厳しさに絶望したという。当時は、遠い日本へ戻れぬ事を自らに問い、再び奮い立たせ頑張った。そして、その変わらぬ大自然のなかで日々の中で1年に1回だけ一生懸命働いた僅かなお金の中から、子供達をブラジル最大の都市サンパウロに連れていったという。その旅は、もしかして都会の生活に憧れて戻りたくないと言い出すのではという不安な旅でもあった。しかし、そんな心配とは裏腹に皆、休暇を終え第2の故郷であるアマゾンに戻ったそうである。今でこそアマゾンの森林は重機で掘り起こされ当時の開墾の苦労は微塵もなく、アマゾンの都市として変貌を遂げたが当時としては深刻な話であった。現在は、そういう意味でアマゾンからサンパウロまで行く必要はなくいなくなったが、地球の肺と称されたアマゾンの機能はその発展と共に機能を失い様々な地球異変を起こし人間に襲いかかる結果となった。つい先日の紅葉シーズン、普段静かな上野村に神流川の清流と森を求めて多くの人が訪れた。「自然が身近にあればそんな必要はないのに。 」そして都市では‘森林浴‘なる言葉が自然を満喫する表現で利用されている、それは生活圏内に自然がなくなりどこか別の物になってしまい、大切な自然をどこかにスケープゴートしてしまったように思える。夜に懐中電灯が必要ないほど街が明るい時代とは、言いかえればれば人間本来の自然感、動物感が失われてゆく気がする。人間と自然の係わり合いの転換期そこまで来ている、村に暮らしはじめ感じる。
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