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ばんざい地球人!!
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ぼくらのブータン珍道中記
 私たちのグループは毎年どこかに行こうという、誠に大雑把な趣旨でこれまで国内の世界遺産を中心に高野山→熊野古道→屋久島→尾瀬と尋ねてきました。会の名前のごとく(麺食文化研究会と言います)同業者の会社や工場を回ってあくまで「勉強」をする会なのです。しかし今回はエベレストが見たいという途方もない話になり、会長の石上さんの学友、大谷映芳さん(と気安く言ってますが)の案内を得て、ブータンへ参りました。来る直前に1名、1日遅らせて参加させてほしいという我儘にも大谷さんが何とかスケジューリングしていただきました。日本からの直行便はなく、バンコク経由です。

 いざ、ブータンへ着陸っと、飛行機が着陸態勢を取り始めると曇り空の中からも周囲の景色が見えてきます。なんだか両側の山が迫るなかを飛行機は着陸地点目指して降下しているのです。ホントに空港目指して降りているんだよねえ、と心配でした。昔の香港の啓徳空港への着陸を思い出させる、ビルの谷間に着陸態勢に入るような、あんな気分です。

 ともかく無事着陸。タラップから地面に降りました。地方空港の様な、でも周囲の住宅同様、とても特徴的ある建物です。ほかの乗客と一緒に入管へ並ぼうとその建物に入りましたが、何やら人懐っこいブータンの服を着た人物が大谷さんを探してやってきました。大きなジェスチャーで脇の別室に入れと言っているようです。英語のようなのですがわかりません。自分たちが入室すると、あとからイミグレーションの人たちが入ってきました。「何が飲みたいですか」と聞かれ、メンバーの田中さんが「バター茶」と答えるとちょっと困った顔をされました。「どうぞ」というように再び案内され、いきなり空港ビルの外に出てしまいました。あれ?さっき渡したパスポートは?入国手続きは?と心配したものの大谷さんが先を歩いてゆくので「まっ!いいかぁ」と空港ビルの向かいのレストランまで行ってしまいました。正直、頭は働いていません。

 バター茶をいただきました。本当にバターを入れた紅茶でした。バターに塩が含まれていたので不思議な味です。7名中2名が完飲しました。あとから来る栗田さんを心配しつつ、空港のあるパロからティンプーに移動しました。地元の方がゆくと言うチベット料理の店で昼食です。チーズやひき肉を入れたモモ(餃子)、やきそば、らーめんを食べました。麺は日本でふだん食べているものとは違って、のど越しが今一でした。ビールはFosterとDruk1100という地ビールです。動物園で国の獣に指定されているカモシカ科のターキンTakinを見たりして散策し休憩の後、観光客向けのレストランに行きました。なにせ、当方、麺食文化研究会ですからぁ。いろいろ食べるんです。エマダティ(チーズ・唐辛子和えの野菜漬け?)、パクシャパ(豚肉野菜煮)、韃靼そば炒め、いんげん人参中心の野菜炒め、チーズ卵焼きなどが出ました。ホテルへ戻ると同室の川島さんと交代で風呂に入り・・・あっという間に寝ていました。

 翌日も移動です。昼はドライバー推薦の地元料理の店に行く。昨夜同様エマダティ・パクシャパ・赤米・ガーリック米等が出る。とても美味しい。口に合うと思ったら大日本土木やNECの人たちが良く来るとのこと。日本人の味をよく知っている調理人さんでした。途中で後から追い付くはずの栗田さんからパロ空港に入ったが誰も迎えに来ていないとの電話が入りました。そんなはずはないと大谷さんもあわてて出迎えの方に問い合わせをしましたがパロは視界不良で飛行機は来ていないとのこと。そうこうするうちに栗田さんから着陸したのはバングラディシュのダッカ空港だったとのこと。ブータンの天候が回復するまで飛行機は飛ばない。お互い気をもむもののどうにもならず、自分たちはさらに東へ移動。また栗田さんから電話。飛行機は飛び、パロで大谷さんの友人で日本語が堪能な入管のディレクターThinley氏と会えてこちらを追いかけるとのこと。一同、「良かったあ」と合唱。あと30分くらいで目的地というところで前を行く同行の車が対向車とすれ違う際に道路際の角ばった岩にタイヤが擦れてバースト。2人のドライバーと川島さんの頑張りでスペアーに素早く交換完了し、車は2800メートルの峠を越えてスイスのような風情のポプジカに到着できました。暗くなる前に到着できたので周囲を散策。9月になっても雨期が明けず、チベット高原から8000メートル級のヒマラヤの山々を超えてくるはずのアネハヅルはまだ来ていなかった。しかぁ〜し!いざ夕飯だという時に結構な揺れが来ました。ここまで来て地震かぁあ。東日本大震災を今年経験している僕らにとっては、震度3強かな、等と落ちついた態度でいられましたが、われわれのガイドやドライバーさんは大慌て。建物にひびが入っているといけないから、外に出ろと言われてしまいました。外に出てみるとホテルの従業員が建物の外で座り込み、女性従業員は泣いている人もいました。当地には地震はあまりないそうです。4、5年前にあったと言う人もいましたが。あとで聞いたら隣国ネパール東部で震度7だったとのこと。震源から離れていて良かったと思っているうちに、あれ?!1名、後から来るんだった。夜10時半、ようやく連絡がつくが崖崩れで進めず、戻る道も崩落という状況下で立ち往生していた。山側は崖、谷側は急峻な谷底、夜も更ければ真っ暗な中に光る眼がいくつもこちらを睨んでいるといった塩梅だったそうな。

 翌朝、こちらのドライバーと大谷さんが崖崩れの現場まで戻って栗田さんを乗せてくると言う。どうなる事かと思いましたが、昼には待ち合わせの峠で合流できました。栗田さん、よくぞ来てくれました。お互いの感動と共に安堵&安堵!栗田さんは崩落した道を10mほど、スーツケースをかついで乗り越え、こちらの車に乗り込んだとのこと。栗田さんを乗せてきた車は合流予定だったThinley氏を乗せて崩落現場の開通を待ってティンプーへと戻られるという。

 当地3日目、ポプジカからブムタンへ向かう。ブータンの道は空港から東へ動脈が伸び、この幹線から南北へ、魚の骨のように物流や人の移動が行われている。しかし相変わらず急峻な山道に変わりはない。往路では一番の行程になった。食事も調理方法が違うものの食材は新鮮で種類も多い。穀類も日本で高嶺ルビーと呼んだピンクのそばがあちこちで栽培されているし、JAICAの関係で見えていた西岡氏が短粒種の水稲の栽培を定着させていた。ヒエ・アワも見た。マンゴー・柿・リンゴ・とうもろこし・キュウリなども豊富だった。栽培している農家の方が道路沿いで販売しているのもごく普通の光景になった。途中、この道路に貼りつくように建物が集中する場所があった。昔の日本の宿場町という風情。ホテルがイコールレストラン、勿論ブータン料理。中華っぽいとかインドっぽい味付けをすると、どっちつかずで旨さが半減します。地元の料理に餃子やシュウマイがありますが、肉饅頭とかチーズ饅頭と考えるとなかなか乙な献立だと思いました。トイレもちゃんと便器に向かって用を足せます。周囲を見渡せば、一面のシャクナゲがこの2日間続いています。花の盛りに来られたらどんなにか素晴らしいでしょう。日本なら森林限界を超える標高にもかかわらず、国の木である「糸杉 Cyprus」の大木や高山植物たちが密生しています。ブムタンが見えるカーブで車が止まりました。久しぶりに太陽が輝いて気温も上昇しています。と間もなくアサギマダラが周回し、ジャノメ類が数種ポンポンとジャンプするように崖の上を上がってゆきました。ブルーの小型のシジミチョウもきれいです。しかしブータン人のガイドやドライバーは動物や植物には熱心ですが、昆虫には興味がないようです。蝶はカメラで接写できるところまで寄れずに終わりました。

 翌日は朝から晴天。しかしお寺巡りを歩いて回ろうということになったが、前日までの雨で道路はぬかるみ。お寺に入ると拝礼が待っている。2か所を回ったところで大谷さんの知り合いの土産物店へ行く。お祭りのときに出すお蕎麦の機械を見せてくれた。木製の麺線押出式の機械だった。麺機と聞いてみんな仕事に目覚めてしまった。しばらく使っていないその機械を掃除した。その家のお母さんと娘さん2人がとても「ほんわり」している。ガイドが踊りを見せてくれないかと頼むと友人を呼ぶから夜8時に来いという。その後スイス人が長年経営してきたというレストランへ向かう。予約しなかったうえ、昼食には遅くなってしまった。食べられないかなと思ったが、先方の好意で昼食にありつく。ありがたい!久々においしい生野菜を食べた。あるものでと言っていたが、美味しいトマトソースパスタだった。

 夜はホテルのブータン料理だったが、岩海苔スープや新鮮なヤクの肉炒めが出た。夕飯後、ガイドがアポイントを取ってくれた昼間の土産物屋へアルコールや日本から持参していたお菓子を持って、ブータンの伝統的な舞踊を見に行った。最初にお蕎麦を出してくれた。あの押出機で作ったおそば、と思ったらちょっと引けてしまった。しかし麺のこしは今回の中で一番だった。原料のそば粉が殻ごとの引きぐるみなので、のど越しは日本の麺と比べられない。そば粉の甘みや香りがある。そば粉が新鮮だ。舞踊が始まった。歌いながら踊っている。とてもエネルギッシュだ。リーダー格の女性が次々とほかの4名の女性たちを引っ張る。従来あまり真剣に見たことはなかったがアイヌや沖縄の舞踊のように思った。つながった隣の建物に住むお坊さんが加わったのにも驚いた。最後はみんな踊りの輪に加わった。

 5日目、今回ブータンの中で一番東であったブムタンからプナカに向かう。8時間車に乗りづめ。いささか飽きる。大谷さんは手づかみで食事をする。ナイフ・フォークは西欧人の道具で、肉を主体とした狩猟民族の慣習だと言われた。なるほどと思い試した。ご飯の温かみや食材の質感が伝わって、大事に食べたいと思う。ただ食後に手がべたべた、口の周りがヌルヌルになるので困る。プナカはティンプー以前の首都だった都市で10月13日から15日のロイヤルウェディングが行われるらしい。城や砦の役割だったゾンも寺院も立派で男川と女川の合流地点にある。雨が続いた後なので川の水の色は本来の色ではないらしい。オープンマーケットのフルーツを見学後、ティンプーに向かう。途中で大型トラックががけ下に転落の現場に出会う。大渋滞の中、ガイド氏が先行してドライバーを誘導、割り込んでしまう。夜7時過ぎに到着。栗田さんを途中まで送ってくれたThinley氏ご夫妻がレストランへ招待してくれた。ご夫妻からブータンについて色々話を聞かせてもらう。食事後にガイドさんが言う「飲み屋」に行った方たちもいたが、到着して30分もせずに警官が踏み込んできて解散になったとか。

 23日、この旅行のハイライト、タクソン寺院のお参り、という名の山登り。このためにストックを持参してきました。なんせ、全く自信がありません。縄文杉は大雨でみんなが完遂したのにひとりギブアップ。尾瀬沼も午前中の三条ノ滝は大雨で尾瀬沼への登りはどん尻で到着でした。今回も馬に乗せてもらおうかなどと言っていましたが、山道を馬の背に乗るなど想像もできません。みんながさっさと登ってゆく中、何度もひざが止まってしまいました。大谷さん、石上清会長が励ましてくれたおかげです。ようやくタクソン寺院が建つ岩山が見えてきました。しばらく下り坂ですが、目的の寺院は同じ標高くらいに見えます。下った分、また登らなくてはなりません。霧雨も降りてきました。どのくらいの時間がたったかわかりませんが、ようやく寺院入り口に着きました。こんなに標高の高い岩だらけのところにどうやって立派な寺院を建築できたのでしょうか。しかも建物はいくつにも分かれています。中の仏像に向かって礼拝を繰り返すうちに、少々息苦しくなって休憩をとりました。みんなは全く平気のようです。石上さんからチョコをいただいてなんか元気が出てきました。下りは得意です。登る間に気にとめていた花を撮ってさらに元気が出てきました。今回の旅行の間で初めてトリカブトの花を見ました。こちらへ来る前に「今年、ブータンへ観光に来た日本人は8月までで200人」と聞いていましたが、このタクソン寺院のお参りで会った日本人の人数を思うともっと多いようです。ロイヤルウェディングに向けてブータン人気が沸騰しているのかもしれません。

 ブータン最後の宿泊地パロに向かう。ここでは軍や警察の施設を広げる目的で、古い住居を移転させている。古い宿場町のように街道沿いにへばりつくように立ち並ぶ奥行きのない住居を取り壊し、道を広げている。住んでいた人たちには少し離れた場所に新築の家を提供しているが、建築費用は政府の負担のようだ。住宅排水の問題も含め、衛生環境は良くなるのでしょう。

 別荘の様なホテルに着く。長時間の移動でドライバーもくたくただ。旅行中のたくさんのビデオをロビーで編集しているアメリカ人に会った。ディナー後にインタビューされるとは思わなかったけれど・・・。ここでは自分にとって、ハイライトがあった。今までの宿泊地でもたくさんの小型の蛾や赤とんぼの仲間が燈火に集まってはいたが、この夜、スカラベのペアが来た。ファーブル昆虫記の第1巻に描かれた昆虫、糞ころがしだ。日本にいなくもない。けれどこの来訪者は♂は少し小型だったが、♀はカナブンほどの大きさだった。蛾の多くは尺取蛾で、見た目は日本と共通種が多いように思ったが、ゴマフボクトウも来た。クツワムシに似た、でも2倍くらいはある茶色の鳴く虫も来ていた。も一つ気になったのが、どこへ行ってもカエルを見ないこと。かといって食材にもない。

 翌朝、ホテル前で通学の子供たちを写真に収めた。同じホテルに宿泊の「今はイスラエル」と語る夫人も加わった。生まれはアルゼンチンで、キューバやアメリカにも住んでいたと言う。自分が趣味は蝶だと答えると、メキシコのマリポーサ・モナルカに行ったことはないのか?と聞かれた。この人、メキシコにも住んでいたらしい。うらやましいと単純に言っていいのか迷ったけれど、Monarcaの冬越しを見られて、しかも今の今まで覚えてくれているなんて感激でした。Monarcaは北米からメキシコ高原中央部を1年間で数世代繰り返して渡りをする大型の派手な蝶です。自分は1頭の生きた姿も見たことないんですけど。も少し話したかったけれど、英語が追いつきそうもありませんでした。
 ホテルの前に戻ると、2人の子供が蹴鞠のような遊びをしています。蹴っていたのはマリではなく、太い糸の玉のようでした。見ていた川島さんがここでも果敢に挑戦しましたが、小学生以下に屈しました。だって慣れてきたとはいえ、標高2000m以上だよ。
 天候は悪くないし、ひとりの脱落者もなく、かの小さな国際空港に到着です。例によってガイド氏が出国手続きをまとめてくれ、早々と搭乗手続きも住みました。空港内の売店はとても高く、ウィンドウショッピング。メンバー7名はバラバラの座席でしたが、隣に若いブータンの女性が座ってラッキー!

 ブータンは子供がたくさんいるのにびっくりしました。1家庭5人から10人の子沢山とのこと。都市部は当然ながら、自分たちが訪問できた東部地方へ行っても大勢います。なんか頂戴!と手を出されましたが、従来のほかの東南アジアとは子供の表情が違う気がします。公立の学校であれば大学(国立大学は1校だけですが)までタダ。田舎のようやく生活ができるのかなと言うような家庭でも電気が来ていました。谷あいに入らない限り、当方の携帯電話も通話できます。道路こそ「悪路」でしたが、橋はとてもしっかりしていて安心です。これらはインフラのうち、何を優先すべきかを政府がとても早い段階で決定していて、他国からの援助を上手に使っていると思いました。道路は崩れるものという決定がなされていて、補修に終始していた。しかし、いざ崩落となれば建設機材は普段どこにあったのだろうと思うくらい集まってくる。崩落した、国を横断する幹線道路も帰るころにはきちんと通過できました。しかし国内用の空港が東部に2か所出来るようです。空港ができると人の動きも物流も変わっていくんでしょうね。水力発電を国の事業に位置付けている。九州くらいの国で人口70万人。都市部の人が外国の情報に目覚めて、ローンで車や情報端末を購入している。近い将来、キャッシュがうまく回っていくとは思えない。この流れに地方が振り回されなければいいのだけれど。

 世界遺産へ登録することだけが良い事とは思わないけれど、登録することでこの国の自然や文化が維持できたら良いなあと最後に思いました。世話になったドライバーさんはとても親切で、一人は顔も恰幅も「布袋さま」のよう。このひと、信仰心も厚く、ガイドさんよりお寺のことを知っているようだったし、人柄がとても良い。イライラした表情も見せない。彼は僕の描くMr.Bhutan、The Bhutanist。

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